Complete text -- "春一"

06 May

春一

 祝春一番コンサートに今年も行ってきた。
かつて私が中学生時代、
今はなき大阪、天王寺の野外音楽堂でやってたのを憶えている。
 その頃私はPPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)でアメリカフォークソングの洗礼を受け、ガットギターでスリーフィンガーを一日中弾いていた。兄が読んでいた「ガロ」や「COM」で「カムイ伝」や「火の鳥」をドキドキしながら読んで深夜放送で「ABCヤングリクエスト」聞き始めていた。
 はしだのりひことシューベルツやジローズ、西岡たかしと五つの赤い風船、そして赤い鳥を聞き、シューベルツやジローズのコピーバンドで文化祭に出たりしていた。
 大阪の南の方で、アングラな人たちが、友部正人さんやら加川良さんやら東京の人を呼んでコンサートやってるなぁと、思っているちょっと生意気な少年だった。

 春一は15年ほど中断の後、1995年から服部緑地野外音楽堂で再開し15回目となっている。
 2004年に矢野絢子と出会い、再び音楽と深い関わりを持ち始め、今年で再び中断がいわれている高石ともやや永六輔による「宵々山コンサート」(京都円山野外音楽堂)とともに、春一にも毎年参加することに(あ、いや、客として)。
 
 加川良が「教訓?」を歌っている。

 アメリカのイラク攻撃が始まったときも思ったが、
 若者や有期雇用や派遣の労働者が職を求め苦闘している実態に目もくれず、地球の裏側の海賊退治に日本の「自衛」隊が、ろくな議論もなしに派遣され、憲法「改正」の国民投票法が成立し、税金ををつぎ込み国を挙げて宣伝を開始している(憲法は古い、戦争放棄なんて非現実的、憲法なんて変えちまえ、もう変わることになってる…みたいな)ている現在、
 「教訓?」が、そんな時代もあったなぁと振り返るのではなく、現実味を帯びたうたになっている。
 イヤな時代になったなぁ…ではなく。この歌が堂々とうたえる世の中を、ここまで守れてきたと考えよう。そして、過去として振り返ることの出来るうたになるよう、ここからが勝負かな。


 ハンバート ハンバートが清志郎の「僕の好きな先生」を歌っている。
 春一の面々は、年齢も音楽の傾向も様々で、時には忍耐の時間も続く。でも、それぞれ自分の好みの音楽があって、それぞれを好きな人たちが楽しそうに歌い、踊り、笑いあっているのを見ているのもまた好きだ。
 まだ若いのに高田渡が逝き清志郎が逝き、それぞれ一つの時代が終わっていく。
 ハンバートは「見送る世代」。そして新しく「作り出してゆく世代」。さらに、「その次の世代を生み出してゆく世代」。
 ハードレインからマーサ、ムジカそして、クアトロからハッチに舞台は移っても、この頃唄い続けている「おなじ話」を唄い続けて欲しいな。

 
23:24:37 | guzura | |
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